打席に立つことで満足するという大幅な趣旨ズレ

手段を目的にするプロである。二歩目のための一歩なはずが、一歩踏み出したことに満足する単細胞である。万年3位の全国行けない男である。

 

ヒコロヒーと納言のみゆきが深夜に番組をやるという告知を見たので、録画しようとテレビをつける。

ふいについたテレビは2ちゃんのNHK?教育系のやつで、伊集院光と誰かがアリストテレスのニコマコス倫理学というものについて解説していた。

倫理学というのはどういうものなのか、学ぶことにどのような意味があるのかというものについて話していた。

 

昔話か落語かなんかにこーゆーのがある

寝ている息子に父親が、

お前寝てないで勉強しろ。

 

勉強すると何がいいの?

 

そりゃあお前いい高校に入れるだろ

 

いい高校に入ると何がいいの?

 

そりゃあお前、いい大学に入れるだろ。

 

いい大学に入ると何がいいの?

 

そりゃあお前、いい会社入って金稼げるだろ

 

というのが永遠にまわりまわって、最終的に

 

そしたらお前、寝て暮らせるだろ。

 

という話があるそうだ。

 

ここには幸せという話がすっぽり抜けている。

 

アリストテレスのニコマコス倫理学では、幸福は目的であり手段にはならないという結論だそうだ。

 

確かに。そうかも。

 

いい高校に入ることは目的にもなりうるし、いい大学に入るための手段になり得るが、幸福は目的にしかならなそうだなと思う。

 

倫理学とは、世の中のおおまかに正しいことを考える学問だそうだ。例外もあるけどまぁそれはそれでいいじゃんくらいのざっくりした輪郭だそうだ。

 

ほうほう。面白そうだけど、なんだか小難しそう。だが考えすぎな人には荷が降りるものだろう。

 

エネルギーチャージするのに時間がかかるなんて言っていられない歳になっている。周りはみんなヒットを打とうと打席に立っている。ヒットを打ち始めている。

客席から野次る暇はないのである。