久々にエッセイ本を買った
地元のアリオでは芸人のエッセン本があまり並んでいなかったが、いつからか芸能人コーナーができておりそこに新書でAマッソ加納の文字があったので購入。
そーいえば本出したって言ってたか。
短編がいくつも入っているような形態の本が好きだ
電車で読んでても大体この辺やな、で、終わらせることもできるし、着いた時にちょうどその章が終わる時も気分がいい。集中力がないので本当に助かる。
前書きに、どうやら芸人になる以前のお話をというテーマをもらっているらしいことが書いてあった
パカパカと開いた記憶の隙間から漂う懐かしい香りを楽しんでいました。今これを書いているのは真夏の夕方ですが、私にも年齢の数だけ夏があったのだと当たり前のことを思い出させてくれました。
と書いてあった。
もうこの文でこの本の元値は取ったようなものだった。不意のこの文にやられ朝の総武線で泣いた。
思い出すという作業がどうしても、今の解釈が加わってまた上に乗っけるというようなジェンガになりうるということをとある映画で言っていて、そのままにしておきたい記憶は思い出さない方がいいのではとも思っていたし、記憶なんて曖昧だから、言ってないセリフが足されたりしそうなもんだが。
この文で見事に全部どうでもいいこととなった。
まだ半分残っている。残している。
ゆっくり楽しむ
夏が近い