命をかける

友達と飲んだ帰りに書いている。ご容赦を。

素面ではないけど、本音ではある。

 

親友という言葉にとても抵抗がある。

わざわざ親友なんて言わなくていいから、言ってるやつ見ると胡散臭くてむず痒くて、なんならムカつきさえする。

言葉で縛っておかないといけないほどの仲のやつは、親友ではないと思うから。

だから親友という言葉は使わないけど、今日、友が、とても仲の良い友達が留学に行った。

そいつは、自分に自信がないと言った。

留学するにも、目的がないと、と言った。

けど、留学に行った。

背中ばかりを見てきたつもりはない。

というのも、考えずに生きてきた。

少し大人になって気づくのは、小さい体の大きい背中。

生きることに、命をかけていない己との差。

追いかけるという表現は近からず遠からず。

みんなに俺、頑張ってるんだぜ、なんて

頑張ってなくたって言える。

安定を捨てたいのではない。

一皮剥けたい。

新卒で入れたかもしれない会社で、得ることができた技術と新しい環境と新しい人を捨てて、やりたいことをやるんだということを常に頭に置いとかなくては。

やりたいんだからしょーがないよね。なんて。

天才の理由が聞きたいのではない。

凡人の思考の果てに、それでもやはりと思うもの。

自分の人生は大切にしてやりたい。

努力しない瞬間がもうあってはいけない。

生きるのがうまいやつなんていない。

今ならもがいたあの人の努力をかいたい。

誰が見るでもない場所に逃げるのである。

継続から逃げることのないよう、戒めである。

なんてね。