今日、友達と話してて思い出した。
自分は自分と似ている人物がとても苦手だということ。
苦手はうそ。
なんか普段自分がどんなだったかわかんなくなって嘘みたいに空回り、失速に失速を重ね、逆走して死ぬ。
けど、これは小学生の頃からそーだったらしい。
空手をやっていたころ、先輩のお父さんにそー言われたのを覚えている。
自分と似たタイプと対戦するととても苦戦する。
確かにそーだなって思った。
中高でもそれで苦戦した。
でも、そいつとは大学入ったらなんでかめちゃめちゃ仲良くなった。おれが勝手にそー思ってる可能性あるけど。なんか、見えないうすーいかべみたいなのがいつの間にかなくなってた。あとから気づいた時、めっちゃ嬉しかった。なんなら、二人で会った時にそいつに言った。おれらなんか、仲良くなってね?って。
そしたらそいつもおんなじことをおんなじタイミングで思ってたらしかった。
やはりバケモノだ。
どれだけ違うのかという尺度でものごとを見れれば楽だ、ということに気付かされてから、なんか大丈夫になった。
大丈夫になってしまった。
そーいえばハリーポッターで、ハリーがヴォルデモートと似通った点があることで悩むところがある。
その時にダンブルドアが、
「どれだけ似ているかではない。どれだけ違うかだ。」っていってた。
多分これに救われた気がする。
救われたはうそだわ。
けど、だよなーってなった。
自分の思考と映画の順番がどっちだったかあんま覚えてないけど。
けど宮藤官九郎がこないだなんかの番組で、青春とはギクシャクすることだって言ってた。
そーゆー意味では青春じゃなくなってしまった気がして若干寂しい。
けどこの角度でものを見るようになるのはすげーなって思った。
めっちゃ何かにムカついてキレてるやつとか、人の愚痴言ったりしてるひとたち見ても、「おまえ青春してんなー」って思えるから、なんか前ほど過剰に反応しなくなった。
おんなじかんじで、人間何回目なんやろなって考えるやり方があるってのも知った。
まず、人間になるには、徳を積むことでなれると考える。最初は木とか花とかになって一生を終えて、次はぞうときりんとか、になって、んで人間になる。って考える。こー考えると結構ムカつかなくなる。
例えばなんか、銭湯でかけ湯せずそのまんま風呂入ってくるおっさんとか、バイト中に永遠に文句言ってくるおっさんとか。めっちゃムカついても、「あ、こいつら人間一回目なんやろなー」って思えば、全くムカつかなくなる。自分が悪いことして文句言われてる場合はやばいけど笑
この話は紳助がしてた。
YouTubeにあった気がする。
んでなんだっけ。
似た人物や。
思考がめっちゃ似通ってても、やりたい表現方法が違ったり、結論が違ったり、色々違うからおもろいよなってこと。 みつを。